たくてんのブログ

長らく放置していたけど、ぼちぼち再開します。主に旅先での出来事や研究関連のことを書いていきます。

雑記ー熊野寮に7年くらい住んでみた感想

 自己紹介

  • 所属:大学院生(D3)
  • 在寮歴:計7年目(2009/4 - 2013/3,2017/4 - 2020/3(予定))

はじめに

この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2019の21日目の記事です。

締切に間に合うように書こうと思っていたけれど、気が付いたら締め切りを過ぎていました。年末のドタバタで時間が取れなかったけどようやく少し時間に余裕が出たので書きました。もう少しきちんと書きたかったけれど、きちんと書くとそれは雑記ではない気がするので勢いで書きます。

 

これは京都大学に入学してうっかり熊野寮に住んでしまい、博士課程まで行ったのに再度熊野寮に戻ってきてしまった、そんな私のお話。

 

第一次入寮期を振り返って

そもそもなんで熊野寮に入ろうと思ったんだろうか。あんまりよく覚えていないけれど、確か下宿代を少しでも抑えたいとかそんな感じの、ありきたりの動機だったように思う。

 

入寮当初はいろいろと衝撃的だった。

例えば、ここは学生寮のはずなのに見るからに10代、20代の学生ではなさそうな感じの人がいたり*1、よくわからない出禁者の張り紙が張ってあったり*2、活動家がどうのこうの言ってるし、建物に落書きと張り紙*3が多いし、汚いし*4、どうしようもないところだと思った(そしてそれは今も思っている)。

 

ただ一週間もしないうちに慣れた。なじみすぎた。

この寮の人間は不思議なもので、毎年一定数ものすごい勢いで寮に適応し、自治活動なる卑猥な活動を行う輩が発生する。私もその一人だった*5

部会の運営、寮祭の準備、寮内の雑事の対応、学内での交渉、団体交渉、、、何が楽しかったのかはいまいちよくわからない。別に誰がほめてくれるわけでもなし、何かスキルがつくわけでもなし。大学の講義に行ったり行かなかったりしながら、一日の大半を寮内で過ごした。

最近は大分ましになった気はするけど、夜通し会議をしたりすることもあった。話は堂々巡りするし、何も決まらないしでろくなことはない。でも多分、そういうのも楽しかったんだろうと思う。

当時は友人も多くいて、彼ら彼女らととりとめのない話をすることも楽しかったように思う。今も交流のある人も何人かいるけれど、その多くは今はどこで何をやっているかわからない。さみしい気もするけど、案外そんなものなのかもしれない。

 

第一次入寮期の大きな出来事は何だろうか?副学長と団体交渉をしたことだろうか?建て替え工事があったことだろうか?

同じ時期に在寮していた人の中で、思うところはいろいろあるだろうけれど、私の中で一番大きな出来事は、2回生の冬ごろに当時C1人フロアをまるっと使っていたアフガニスタン人のおじいさんが亡くなって、C1の開拓を行ったことだと思う。

そのアフガニスタン人のおじいさん(以下、B氏と呼ぶ)は聞くところによると、もともと在野の研究者をやっていた人で、母国の情勢の悪化により、帰国困難となり、寮生が大臣と掛け合って、国のお墨付きを得て熊野のひとフロアを占領していたらしい。このB氏はなかなかの収集癖があり、新聞紙などを廊下の両サイドに天井まで積み重ねていた。そのため、C棟一階の廊下は人が一人通るのがやっと、そんな状況だった。また、B氏の料理はなかなかえげつないもので、なぜか常に腐りかけの肉を調理していた。そのため、C棟の一階付近は、夕方になるとおぞましい臭いが立ち込めていた。今に至るまでそれを超える悪臭を嗅いだことはない*6

さてそのB氏、私が二回生の冬に亡くなられてしまった。ある日の夕方、B氏の支援者を名乗る2人の男性が寮を訪れ、B氏と数日連絡がつかない、心配だから部屋まで連れて行ってくれと言う。当時、事務室でよく作業をしていたため、そこにいた私とたまたま通りがかった先輩のH氏の二人で彼の部屋へ行ったところ、B氏が亡くなっているのを発見した。それまで、人の死というものに向き合ったことがなかったし、まさか寮内で遭遇するとはつゆにも思っていなかったので、衝撃であった。その後、B氏のお葬式の手続きなどは先輩のH氏を筆頭に行われた。正直、頼もしいと思った。私には、できなかったと思う。

それからしばらくして、C1開拓計画が始まった。当時入寮してくる学生も徐々に増えつつあったので、そのキャパシティの確保のためもあり、住める部屋を一つでも増やそうということが目的であった*7。B氏が溜めにためた新聞紙や謎の家具研究資料(?)などを片付けるのに一、二か月くらいかかったように思う。大変な作業であった。その作業がひと段落ついたころ、有志がC1に住み始めた。確か基本的には移動しても寮内の仕事をしなくなることがないように、極力寮内の作業に協力的な人が移動するようにしていたはずである(多分)。現状、C棟の下の方で仕事をやる人が多くなく、困っているとかいう話を聞いて少し悲しいのはこういう話もあったりする。

 

第一次入寮期の話はこれぐらいにしておこう。

私はその後、4回生の時に就職がうまくいかなかったりして留年することにしたが、退寮することにした。なぜこの時退寮することにしたのかはまた機会があれば別の時に書く。

 

第二次入寮期(現在)のお話

戻ってきた。博士課程に進学するタイミングで復寮した。

戻ってきた理由とそれまで戻ってこなかった理由については、長くなるので割愛することにして、最近の話を書こう。

 

第一次入寮期とは異なり、戻ってくるにあたって、寮の汚さとか学生っぽくない人の存在とかは知ってはいたけれど、悪化していた。前者は輪をかけてきたなくなっていたし(というか物が増えたんだ!)、後者は新しい学生っぽくない人がいるしで、多少困惑した。

あと、昔より学生がお金持っているような気もした。意外と皆さんいいものを持っていらっしゃる。これは喜ばしいことなのかもしれない。

他に相違点としては、議論が長くなるのを嫌悪する傾向が強まったこと、そもそもそんなに議論したがらないこと、厨房員さんがほとんど新しい人に変わったことだろうか。同期の吉田寮生(まだいる)に「浦島太郎になった気分かww」とか言われたけど、本当にそんな気がした。

さすがに昔に比べると、寮にコミットする割合は少なからず減ったように思う。体力も時間も昔ほどはないんや。

 

戻ってくるにあたって、上記でボロカスに書いた印刷室に入ることになってしまった。これはなかなか厄介なところで、住民票をはじめとする公的な書類にいちいち住所:旧印刷室と書かれてしまう。住所確認をされるたびに「え、印刷室ですか?」とか聞かれる。ほっといてくれ。

 

さすがにほとんど私の第一次入寮期にいた人たちはいなくなってしまった*8。ただ、かといって誰とも話さず一人さみしい集団生活を送っているかというとそういうわけではない。幸か不幸か話しかけてくれる人たちはいるし、知り合いの数も第一次入寮期と変わらないくらいいるんじゃないだろうか。これは皆さんに感謝するべきところである。

 

まとめ

結局、熊野寮に七年も住んでどう思ったのか感想をまとめよう。

  • やっぱり建物は汚い。
  • 思想的に相いれない人やインモラルな人がいて、それでいいのかと思ってイライラする。
  • 会議が長い。
  • なんやかんや対処しなくてはいけないことが多い。
  • おうちに帰っても仕事がある。
  • 年齢に関係なく友達はできる。
  • ハマれば楽しい。

みたいな感じだろうか。文章力がないから、本当にただの雑記になってしまった。

 

上記のまとめがすごいネガティブな要素ばっかりになってしまったけれど、「じゃああなたはこの七年間楽しくなかったの?」と聞かれるとそんなことはない。楽しかったと思う。ただ語彙力と表現力が追い付いていないだけである。

建物が汚いのは何とかしよう。

思想的に相いれない人やインモラルな人がいたら、違う考え方をもった人と接する機会である。そういう人もいることを理解し学習しよう。人間いろいろ。

会議が長いのは会議を短くする工夫をしよう。今年の一回生の発送は面白かった。会議を短く、効率的に進める方法なんてこれまで誰もまじめにやってこなかった。すごいことだ!

対処しないといけないことが多いとかおうちに帰ってもお仕事があるとか、気は休まらないけれど、意外とやってて達成感はある。スキルが身につかないって書いたけれども、それによってできるようになったこともある。今の研究活動で使ってるスキルの一部だって熊野での業務処理によって身についたものだと信じたい。

 

あと2か月ほどで、長年住み続けた熊野寮ともオサラバである。ようやくここから出られるんだという気持ち半分、もう出ていかなくてはいけないんだという悲しさ半分である。同期や先輩と過ごした四年間も楽しかったけれど、なんやかんや戻ってきてからもたのしかった。今の一回生や二回生を見ていると世代が違うということもあるけれど、考え方が違ってそれがまた新鮮で楽しかったと思う。泣いても笑ってもあと2か月ほどで出ていく。最後くらい悔いの無いように過ごしていきたいな。

*1:注:この人はまだいる

*2:注:この人は今年か去年かにまた来た。12年ぶりくらいに現れたことになるらしい

*3:ボテッカーという。多分日常用語では使わない

*4:ここに脚注を書きます当然今も汚い。さらに、一気に物が増えたからたちが悪い

*5:今もはたから見れば私もそんな輩の一人かもしれない

*6:2,3か月前にA棟1階の廊下付近でそれに類似する臭いがしていたため、某T氏にその旨を伝え掃除してもらったところネズミの死骸が複数発見された。そんな臭い

*7:同時期に耐震補強の工事があり、このC1開拓のどさくさに紛れて、工事中空になっていた印刷室に勝手に住み始めたことは今でも恨んでいる。おかげで印刷機はあっちに行ったりこっちに行ったりで最終的に委員会室に押しやられてしまった。委員会室が汚く印刷機を使いにくい。また、紙が廊下に押しやられていて、非常によろしくない

*8:注:ほとんどである。まだ10人近くはいる